okuma

日本の金属加工機はその性能の高さから世界中で使われています。
加工機製造大手のオークマの機械を使っているアメリカの金属加工業者が日本のオークマの工場に見学に行った様子を紹介していました。


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●Edster:イリノイ州、アメリカ
オークマの営業マンから、オークマの顧客が日本に工場見学に行った時の話を聞いた事がある。
で、数年間ずっと彼に私の番はいつなのかと尋ねてたんだ。
かなりしつこく聞いてて、今年の春にまた聞いてみたらもうすぐその旅行があるからと招待してくれた。
これには驚いたね。
私はカナダとメキシコ以外海外には行った事が無かったから、控えめに行ってもかなり神経質になってた。

バッグを持って空港に向かったのが戦没将兵追悼記念日の前の日曜日だ。
空港ではオークマの営業マンの息子と出会った。
営業マンと一緒に日本に行くものだと思っていたけど、彼はもう何度も日本に行った事があるらしい。
彼の息子は数年前からモリス・ミッドウエスト(アメリカの金属加工機製造会社)で働き始めていて、まだ日本には行った事が無いから私の旅の相棒に相成ったという訳だ。
カナダ、アラスカ、ロシア、太平洋の一部を越えていく13時間のフライトの後、私達は東京郊外にある成田国際空港へ到着した。
日付変更線を越えたために、私達が到着した時は月曜の午後になっていた。
1時間後に名古屋近くの中部国際空港への乗り継ぎ便の乗り込み、中部国際空港で荷物を回収してから私達はオークマの担当者達と出会った。
彼等はしっかりと旅行のアレンジをしていて、我々はバスで滞在先の名古屋マリオットアソシアホテルへと向かった。
このホテルは今まで泊まったホテルの中でもっとも快適なホテルで、このホテルの事を書くだけでスレッドを埋める事が出来そうな位だ。
この時点で私はかなり疲れていたから部屋に着くなりダウンした。

次の日、我々グループはバスに乗り込んで大口町にあるオークマの本社へと向かった。
我々は60人ぐらいのグループで、そのほとんどが顧客、顧客候補、営業、そしてオークマ・アメリカの人間だ。
簡単なミーティングをしてからツアー開始だ。
最初のステップはオークマ博物館。
オークマが製麺機の製造から始まったというのは興味深かったね。

博物館の後で我々は工場へと向かった。
オークマの機械がオークマの機械を作っている様子を見るのは素晴らしかった。
このツアーでオークマ以外の機械を見たのはほんの一握りだけだ。
そういうのは三井精機の研磨機など特殊な機械だ。
工場には昔のオークマの部品を作る古いオークマの機械もあって、中にはモデルやコントローラー(制御盤)が何なのか分からないくらい古いのもあった。
私はそれほど長くオークマを使ってきたわけじゃないから、100Eより古いのは私にとって古い機械という事になるのだけど。
機械を交換する事も出来るし昔からの機械を使い続ける事も出来るというのは機械の耐久性能を証明してもいるだろう。
そういう機械も素晴らしい部品を作り出していて表面の仕上がりも美しかった。

オークマにはクリーンルームも数多くあって、中に入る事は許されなかったけど窓越しに中を見る事は出来た。
そこではスピンドル(金属を切削するための刃物を回転させる部分)や重要な部品を組み立てていた。
温度制御室も幾つかあって、そこでは鋳鉄機械部品の熱変形を調査していた。
もう1つオークマで興味深かったところはオークマでは今も手作業で作っている部分が多かったところだ。
手作業で可動部やボールスクリューマウントを組み立てたり、鋳造でベースを作ったコラム(門)の表面を手で仕上げている工員をたくさん見た。
工員達は電動スクラッパーは使わず、手工具できさげを行っていた。
手作業によるきさげは失われた技術だと思っている人はオークマの工場ツアーに行った方がいいだろう。

訳注:きさげとは機械部品のの摺動部の表面に潤滑油をまんべんなく行き渡らせるために細かな凹みを付ける加工の事。平面を出す目的もある:wikipedia

きさげ加工をした金属面
kisage

きさげの様子

 
最後に行ったところはドリームサイト・ワンという、まだ建設中の新エリアだった。
巨大なオークマの門型マシニングを導入しているところで、機械の中には標準のヘッドから垂直ヘッドや5軸ヘッドに切り替える事が出来るものや高速回転から高トルク低速回転に切り替えられるものもあった。
ここはどこもピカピカで、巨大なクレーンが設置されてた。
残念ながら、ここは撮影禁止だった。

ここは巨大な場所で、オークマの門型マシニングがオークマの門型マシニングの部品を作っている所を見るのは最高だったね。
工員が門型マシニングを手作業できさげして、クレーンで吊り下げてフィッティングを見てもう一度降ろして調整してる所も見た。
オークマの可児工場のFMS(多品種小ロット用製造システム)も見た事が無い位巨大だった。
パレット(加工物を固定する台)を溜めておくラックも巨大で、おそらくパレットを100枚溜めておけたと思う。

※マシニングセンタとは金属加工をするための機械で、様々な種類の刃物を自動で交換する事が出来る。門型マシニングは巨大な部品を加工するためのマシニングセンタで門のような形状の架台に刃物を回転させるスピンドルが付いている

1日目はたくさん見て廻ったからどこの工場だったかは思い出せないけど、かつてないほどの(能力の)FMSシステムも見た。
そこには巨大なパレットを設置できるマシニングセンターがあって動きは凄くゆっくりだったけれど、早く動かす必要はないと言っていた。
パレットを乗せるラックはロボットが付いていて、これも巨大だった。

可児工場のツアーの後はホテルに戻って会社の上役と一緒に宴会スタイルのディナーだった。
興味深い食べ物や飲み物が出てきたよ。

●ewlsey:ピオリア、イリノイ州、アメリカ
これは凄いな。
自分は栃木行の飛行機を予約してたんだけど福島の地震があったから結局行けてない。
何時か行きたいね。

●super95awd:モーガンタウン、ウェストバージニア州、アメリカ
ふーむ、自分の担当営業をせっついてみるかな。
最高じゃないか!

●Ox:ウエストユニティ、オハイオ州、アメリカ
>工場には昔のオークマの部品を作る古いオークマの機械もあって、中にはモデルやコントローラー(制御盤)が何なのか分からないくらい古いのもあった。
>機械を交換する事も出来るし昔からの機械を使い続ける事も出来るというのは機械の耐久性能を証明してもいる。
>そういう機械も素晴らしい見た目の部品を作り出していて、表面の仕上がりも美しかった。
オークマにとって計算内の営業ツールって訳じゃなさそうだ。
リペアするのに3日ないし1週間掛かるんじゃないかな。

●Edster:イリノイ州、アメリカ
↑サポート体制の為、古い機械の部品をサポートするためだろうな。

●Edster:イリノイ州、アメリカ
次の日、我々は大口町の本社に戻った。
この日はほとんどずっとセミナーだった。
その1つはサーモフレンドリーコンセプトについて。
これは熱膨張を減らすために油圧ポンプの位置や変圧器の位置を慎重に設計するというコンセプトだ。
熱膨張は避けられない部分もあるから、オークマは熱膨張をより制御しやすいように機械を設計しようとしている。
熱変形がバナナみたいに機械に捩じれを発生させてしまったら補正するのは難しくなる。
オークマは(XYZ)の軸方向に向かって熱膨張が起こるようにし、機械の温度をモニタリングして軸の位置を調整できるようにしようとしている。
デモンストレーションもしてみてくれた。
講堂でフライス盤のミル(刃物)を最高回転で回して数時間後にテストカットをしてみた。
それから機械の電源を落として昼食を食べに行った。
そして昼食後に戻って完全に熱が取れた機械でもう1度テストカットをしてみたが、昼食前に加工した部品と後に加工した部品には全く違いが無かった。

もう1つ私達が学んだ事は加工ナビというもの。
加工ナビは金属を切削する時の音を聞くためにマイクロフォンを使い、加工物に衝突が起きた事を検知してマシンを止めるというものだ。
オークマは我々に機械の可動部をぶつけてクラッシュさせるように促し、何人かが試してみたがどの時も機械は(事前に)停止した。
私の番になって、あまり乗り気ではなかったけど(単にその気じゃなかった)とりあえず中繰り用の刃をチャックやワーク(加工物)にぶつけようとしてみたが、どちらもクラッシュする事なく機械は停止した。
コントローラーのスクリーンにはモデルが表示されていて、アイテムが触れると赤く発光していた。

その他にもP300コントローラーの新しい機能を幾つか勉強した。
オークマによるとこれはコントロールを合理化させる大きな取り組みで、オペレーターは幾つも画面を切り替えずにボタンを数回押すだけでタスクを行う事が出来るようになるらしい。
セミナーの後でディナーに備えてホテルに戻り、オークマは私達をしゃぶしゃぶディナーへと連れて行ってくれた。
ディナーは4人掛けのテーブルで、中央には鍋が置かれていた。
野菜が乗ったプレートが運ばれ、各々が好きな野菜を鍋の中に入れていくというものだ。
その後に牛肉のスライスが乗ったプレートが運ばれ、私達は箸でその肉を鍋の中に入れた。
肉は数秒で茹で上がり、それをディッピングソース(付けダレ)の入ったボウルの中に入れてから食べる。
Mr.Beef(シカゴにあるレストラン)とは全くの別物だったが、こちらも凄く美味しかった。
そして私達は自分が飲む酒は自分で注いではならないという日本の習慣も学んだ。
友人達と飲みに出た時はお互いに注ぎあって自分では注がないのだ。
これはちょっとしたドリンクゲームのようで、ディナーが終わった後はかなり良い気持ちになっていた。

寝るにはまだ早い時間だったから我々は外をぶらつく事にして、ホテルの近くでアイリッシュパブを見つけた。
すぐに我々グループみんなが集結する事になった。
我々は親指みたいに目立っていたから、みんな簡単にお互いを見つける事が出来た。
カウンターに行ってみるとギネスとブラック・アンド・タンを置いているのに気付いた。
驚いた事にそこのブラック・アンド・タンはかなりの上物だった。
地球の反対側のアイリッシュパブでブラック・アンド・タンを飲むというのは面白い感じだ。
我々はそのバーで楽しい時間を過ごして、バーが閉まった後は何か楽しい事が無いかとホテルのバーへと戻った。
日本のバーは早く閉まるので、ラストオーダーの後で我々はまだ開いている場所はないかと再び外に出た。
日付変更線のお蔭で朝の1時がまるで午後1時のような気分だった。
我々はまだ開いているカラオケ屋を見つけた。
日本のカラオケは独特の方法だ。
みんなの前でステージで歌うのではなく、少人数のグループ用の小さな部屋をレンタルするのだ。
部屋の中でみんなで座ろうという気分では無かったので戻って寝る事にした。

●snydersux425:バッファロー、ニューヨーク州、アメリカ
これは本当に最高だな。
自分は1年半オークマを使っていて、会社もオークマのVTM-200を購入するサインをしたところだ。
5軸制御。
11月が待ちきれないね。

●Ox:ウエストユニティ、オハイオ州、アメリカ
>講堂でフライス盤のミル(刃物)を最高回転で回して数時間後にテストカットをしてみた。
>それから機械の電源を落として昼食を食べに行った。
>そして昼食後に戻って完全に熱が取れた機械でもう1度テストカットをしてみたが、昼食前に加工した部品と後に加工した部品には全く違いが無かった。
同じテストをX軸(水平方向)の往復を同じ時間繰り返してからやってみたいな。
個人的な意見として熱による変化はほとんどがボールスクリュー(機械の刃や工作物を移動させるためのネジ)で起こるものだから。
ボールスクリューの熱変化は機械本体の鋳鉄よりも早いし、落ち着くのも早いんだ。
もちろん鋳鉄でも起こるだろうけど、熱による変化の20%分も無いんじゃないかな。

●metaltech:ミッドコースト、アメリカ
ワオ、旅の様子が上手く書かれてるね。
1987年の11月に森精機(日本の金属加工機器製造メーカー)の工場に行った時の素晴らしい思い出が蘇ってきたよ。
普段は顧客だけだったんだけど数が足りなかったから取引先(森精機の販売代理店)が誘ってくれたんだ。
投稿主の旅と色々似た所があったね。
森精機の2工場だけじゃなくて色々観光名所も廻ったけどそこも魅力的だった。
森精機も自分達の部品を森精機の機械で作ってたよ。
SNK(新日本金属)の5軸加工機が鋳鉄で出来たベッド(工作物を乗せる台)の仕上げ前加工をしてるのを見た。
手作業でのきさげも見たけど、その技術はかつてない程でまさに芸術だった。
色んな所が自動化された、初期の無照明製造も見てきた。
(訳注:照明が必要ない位完全自動化された製造法の事)
AGV(無人搬送車)がパレットを別の場所から別の場所へと移動してた。
旋盤やマシニングのセルの乗せ換えはほとんどの部分をロボットが担ってたね。
出来たパーツをストレージに乗せる前の洗浄はパレットを上下に返しながらホースで洗浄液をかけてたよ。
立型マシニングセンタはたくさん刃物が必要になってくるから追加のリニアラックがテーブルに乗ってた。
スピンドルがツールホルダーの所に降りてきて刃物をクランプするんだ。
絶対に標準的な機能では無かったね。
この作業の為に特製の梯子を付けてたよ。
スピンドルやボールスクリューはクリーンルームで組み立ててた。
森精機のボールスクリューは今でも良いものだね。
当時の森精機は旋盤のターレットや横型マシニングセンタのテーブルクランプ用のカービックカップリングを使っていた数少ない会社でグリーソン社の研磨機を使ってた。
美しいパーツだったね。

日本の文化も興味深かったよ。
日本の会社で5年近く働いてたけど今でも学ぶことがたくさんある。
例えば、日本人がどのくらい酒を飲むのかとか!
日本人は大体8時位まで仕事をして、それから何時間も食事をしたり酒を飲んだりするんだ。
アメリカで大流行する前からカラオケは知ってた。
カラオケは次のアイドルを探す手段だとか。
(日本にはアメリカン・アイドル的な番組はない)
仕事であっても人間関係が歴然とあった。
自分達が泊まったのは西洋式のホテルと伝統的な旅館。
とある夕飯は床に直接座って、素敵なドラムショーを見ながら食べた。
タクシードライバーは白い手袋をはめていて、信号で止まった時はエンジンも切ってたよ。
自分は日本の料理を大いに楽しんで、一緒に行った仲間はマクドナルドに行った時に大喜びしてたけど自分はパスした位だ。
日本に行って本当に良かったし、投稿主が日本に行けたこともハッピーだ。
素晴らしい思い出ばかりの、凄く特別な旅だったよ。

●cnctoolcat:アビングドン、バージニア州、アメリカ
素晴らしい投稿だった!
自分は1994年ほぼ丸1年間日本に住んでたんだ。
自分は日本とアメリカの政府主導の製造技術親交プログラムに参加してて、コロンバス・マッキノン・ホイスト社に勤めてたんだけど鈴鹿のホンダで勉強と訓練をしてた。
鈴鹿は名古屋から電車で30分ほど南に行ったところにあったから、週末は他の訓練生と一緒に名古屋に遊びに行ってたな。
そこには大体30名のアメリカ人、10名のカナダ人、10名のオーストラリア人がいたよ。
それぞれ別の会社から派遣されてて、別の会社で訓練をしてた。
最初の1か月は横浜で日本語や日本の文化の勉強をしたんだけど、とにかくビールを飲みまくってたからもうよく覚えてない。
そう、日本人はコーヒーを飲むみたいにビールを飲みまくってたよ。
道路にはビールの自販機があるんだ!
でも酒を飲んだら車の運転はしてなかったね。
電車とタクシーが至る所にあるからそんな事はしなくても良いんだ。

日本にいた時にマザックとオークマ、森精機の工場にも行ったよ。
確かに素晴らしかった!
それにホンダの工場の周りにある地元の部品工場にも行ってきた。
狭い道路を進んで角を曲がった所にある工場に何億円もするような加工機があって、最高に複雑な部品を作っている所を見るのは素晴らしかったな。
日本人はみんなフレンドリーで親切で、いつもアメリカから来た”外人”と会話しようと興味津々だったね。
凄くユニークで今までで最高に美味しい料理なんかも食べてきた。
もう19年になるけど、今でもまた日本に行きたいと思ってるよ。
飛行機に乗るのは最悪だけど!

●Tank:ウィスコンシン州、アメリカ
日本で見たというきさげについて聞きたい。
自分も接触面にきさげ加工された物は見てきた。
アメリカでスクラッピングマシーンを使ってる人を見た事もあるけど、大抵は昔からの技術を学んでいたロシアやポーランドの移民だったな。
どの男達も拳が5ポンド(約2kg)位ありそうで、腕なんか小男のふくらはぎ程もあった。
金曜の夜にバーの片隅で1杯のビールを賭けて蹄鉄を曲げてみせるようなタイプの人種だ。

で、牧野できさげをしていた男は体重150ポンド(約68kg)位の痩せた男だった。
大体26~30インチ(約66~76cm)のきさげ工具を腹で押しながら使ってた。
かなり簡単そうだったね。
電動スクラッパーを使った事があるのかと聞いてみたんだけど、表情を見る限りそういうものの存在すら知らなかったような気がする。
その事をアメリカの人間数人に話したら、鋳鉄の場合は電動よりも手作業の方が仕上がりが良いから使わないんだそうだ。
相手が鋼でもない限り電動のアドバンテージはないとか。
投稿主が見たきさげ職人は長い柄を腹で押してた?

●Edster:イリノイ州、アメリカ
↑自分が見たきさげ職人はほぼ全員長い柄の工具を使ってたね。
どうやら手をガイドにして体の動きできさげをしていたみたいだ。
柄は腰の位置から動いてないみたいだった。
全部木の柄の工具ばかりで電動スクラッパーはなかったね。




日本の金属加工機は世界最高クラスのクオリティなので海外からの視察も多数行われているようです。



日本のスゴい工場―週刊東洋経済eビジネス新書No.71
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