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credit:naplesillustrated.com

ブルーグラスとはアメリカに移り住んだスコッチ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、アルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝統音楽をベースにした音楽ジャンルです。
Wikipedia:ブルーグラス

ブルーグラスはアメリカが最も盛んな国ですが日本はそれに次いでブルーグラスが盛んな国と言われています。
海外のサイトで日本のブルーグラスシーンについて紹介していました。

引用元:npr.orgFacebook.com

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桑原達也が初めてバンジョーに触れたのは17歳の時だった。
彼は普段ロックギターやドラムを演奏していたし、バンジョーは作曲した歌のための1回限りの楽器となるはずだった。
そして今、私達は東京にあるロッキートップというクラブの階段の上に立っていて、彼の所属するバンド、ブルーグラス☆ポリスが丁度最初のセットを終了した所だ。
桑原は今日で29歳になり、地元のブルーグラスシーンで最もホットなバンジョープレイヤーの1人になっている。
そして彼の母国である日本(世界第2位の音楽産業がある国でもある)は彼の愛する音楽ジャンルが少しリバイバルしてきている。

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credit:npr.org

桑原のブルーグラスとバンジョーへの道は平坦なものではなかった。
中学の時、彼はパンクロックを聴き始めて、それからブリティッシュロックへと向かった。
次は彼が本当に嵌ったというボブ・ディランで、ボブ・ディランが彼にアメリカのフォーク音楽を紹介し、それからブルーグラスを知っていった。
そして遂に彼がバンジョーを選んだ時から他の楽器に振り返る事は無かった。
最初は同じような考えを持つリスナーを見つける事に苦労したという。
”ブルーグラスに興味を持ってる人は自分の周りに1人もいなかった”と桑原は言う。
”聞いている友達はいなかったし、家族はそれが何なのかも知らなかったよ。”と。
最終的に彼は日本のブルーグラスフェスティバルで長い間ブルーグラス☆ポリスの活動をしていたミュージシャンと出会い、ジャムをするようになる。
日本には堅牢なブルーグラスシーンがあり(国際ブルーグラス音楽博物館によると世界第2位の規模だと言われている)これは尾崎恭、恒という2人の兄弟から始まった。

 
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credit:npr.org

2人が日本発のブルーグラスデュオを結成したのは1957年の事だ。
2人と出会った時、彼らはお揃いのスウェットを着ていた。
”双子みたいでしょ”と恒。
彼等は実際には双子ではないが、会話ややり取りを見ているとまるで双子の様だ。
彼等は今では85歳と83歳で、今でも楽器を演奏しふざけ合っている。

尾崎兄弟がアメリカの伝統音楽と恋に落ちたのは彼らが若かった頃だ。
彼等の父親はアメリカに勉強と仕事をしに行き、”She'll Be Coming 'Round the Mountain(ピクニック)”のレコードを一緒に持ち帰ってきた。
ブルーグラスではなかったがマウンテン・ミュージックではあったし、兄弟は今でもそのレコードを持っている。
※マウンテン・ミュージックはブルーグラスと同じくアメリカ南部アパラチア地方の音楽
 
しかし、1930年代の日本においてそれは敵の音楽でもあった。
第二次世界大戦が終わってからかの音楽は敵の音楽ではなくなり、彼らはアメリカの占領軍が兵士達のためにラジオで流していたカントリーやルーツミュージックを聞くようになった。
2人は演奏もしたかったが、当時は楽器もなく金もなかった。

”私達は父親のタバコケースでウクレレを作りましたよ”と恒は語る。
恭が三味線の弦を買ってきてタバコケースに丸い穴をあけ、ネックを作った。
”酷い音でしたね”そう言って恭は笑った。
タバコケースと日本の伝統楽器の弦では上手くいかなかったため、彼らの母親は父親の願いに反して密かに自分の着物を売り、彼らに初めてのギターを買い与えた。
彼等はアメリカのGI達にカントリーミュージックを演奏するようになる。
その後、恒はマンドリンを買い、2人はイーストマウンテンボーイズを結成した。
東山とは彼らの故郷である京都の近くにある山だ。
彼等は大きなイベントを幾つかこなし、レコードも出した。
彼らの音楽はアメリカのラジオで流れもした。
その後、仕事が2人の邪魔にとなってくる。
恒は大きな保険会社で名古屋へと転勤になり、恭はIBMの仕事でアメリカに渡り、尾崎兄弟はほとんど忘れ去れる事になった。
定年退職後に再結成するまで。

カントリーミュージックとその後のブルーグラスは1970年代の日本でちょっとしたブームとなった。
その後廃れていき、今は再び盛り返してきている。
そして東京にあるロッキートップはブルーグラスクラブとして36年活動を続けている。

”1970年代と比較しても現在演奏している人の数は驚くほどです”と語るのはロッキートップのオーナーでありマネージャーでもある田口信行。
”これはセカンドリバイバルみたいなものですね”と。
若い演奏家達、特に女性が活躍している。
1970年代と違い、多くのグループは東京以外、特に北海道や東北をベースにしている。

今夜のロッキートップはブルーグラス☆ポリスのために人が集まっていた。
このような事が出来るグループは1つか2つのみだ。
ステージ上でミュージシャンは冗談を言い笑顔を見せているがバンジョー奏者の桑原はそれに加わっていなかった。
”確かに自分は笑わなかったね”ステージ後に桑原はそう言った。
”笑い過ぎる男はクールじゃないし。侍は笑わないとも言われてるしね”と。

君は侍なのかと尋ねると桑原は笑って家族も侍だった事は無いと告げた。
彼はかなり控えめな人物で、ほとんどシャイと言ってもいい程だ。
しかし、彼がステージ上で笑顔を見せる事は無いかもしれないが今夜のステージでは失われた愛の物語についてメロドラマに、面白おかしく演劇的な調子で決めていた。
桑原は風刺的にロックや日本の伝統的なチューンをバンジョーに乗せ、官能的な部分すらあった。
このバンドは良いショーを行っていたと言わせてもらいたい。
ブルーグラス☆ポリスが今後すぐアメリカでキャッチされるという事は無いだろう。
長時間飛行機に乗るのは少し怖いと桑原は言っていた。
だからもしこのバンドや日本のブルーグラスシーンを見たいなら、きっと日本でスイングしたくなる(来たくなる)と思う。









●男性
日本には何でもあるんだな。

●男性
驚きはない。
日本人の音楽の趣味は素晴らしいから。
日本のジャズシーンを見ればわかる。

●ジャクソンビル、フロリダ州、アメリカ:女性
これは私にはニュースだった。
友達が地元のブルーグラス協会の会長をしてるから教えないと。

●ラッドロー、バーモント州、アメリカ:男性
世界第2位のブルーグラスシーンって2か国しかないのでは?
いや冗談。
日本はあらゆる音楽や芸術に対して凄く理解があるからね。
素晴らしい文化だよ。

●エリザベストン、テネシー州、アメリカ:女性
ここウン十年、日本から来た多くの人達がイーストテネシー州立大学のブルーグラス学科を取ってる。
みんなブルーグラスを愛してて凄く才能があるよ!

●女性
ショージ・タブチを見れば驚く事は無いね。
※カントリーミュージックでフィドル(バイオリン)を弾いている日系アメリカ人ミュージシャン

●サンディエゴ、カリフォルニア州、アメリカ:男性
日本に駐留してた。
カントリーとブルーグラスが盛んだったよ。

●女性
日本は赤毛のアンの信者も多いしね。
分かる気がする。

●男性
これは良いな!
実際にこのバンドの音を聞いてみたいぞ!
アメリカには来ないんだろうか?

●サウスベンド、インディアナ州、アメリカ:男性
一度聞いた事があるな。
『ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー』の替わりに『ライジング・サン・オブ・オオサカ』を歌わないんだろうか?

●ウォーカー、ミシガン州、アメリカ:女性
言える事は、日本人は素晴らしく良い趣味をしてるって事だね。

●女性
日本でブルーグラスが人気だったなんて知らなかった!

●タズウェル、バージニア州、アメリカ:女性
うん、GalaxとClifftop(共にブルーグラスの音楽イベント)にはいつも日本のバンドが参加してるしね。

●ニュー・ベルリン、ウィスコンシン州、アメリカ:男性
ナッシュビルでブルーバントというバンドでフィドラーをしていた森繫昇という日本人と多くの時間を過ごした事を覚えてる。
この日本人はアメリカのフォーク音楽が体に合っていて才能もあった。
確か1972年頃だったと思う。
※現在ハワイに住みながら音楽活動をしているミュージシャン・森繁昇の事

●女性
9月にみんなでやった自転車ツーリングでインディアナ州ナッシュビルの外れにあるビル・モンロー・ブルーグラス・ミュージアムに行った事がある。
ミュージアムの裏手には小さな国際セクションがあって、日本は目立つ場所に展示されてたよ。
魅力的だった!

●アセンズ、ジョージア州、アメリカ:女性
父親が熱心なバンジョー奏者兼コレクターをしてる。
90年代初頭位に父親が欲しがっていたアンティークなフォーク用の楽器はどれも日本人が集めてると言っていたのを覚えてる。
その音楽シーンが今でも力強いと知れて良かった。

●オークランド、カリフォルニア州、アメリカ:男性
興味深い事にチェコスロバキア、現チェコ共和国は一時バージニア州よりも多くのブルーグラスバンドがあって、世界第2位だと思われていたことがある。
それが変わったのかな。
ブルーグラスは日本でも大人気なんだな。

●男性
日本に住んでてバンジョーを弾いてるけど活発なブルーグラスシーンはなかなか追えないと言いたい。
バンジョーを見た事も聞いた事もない人も多いし。
残念ながらこの記事はミスリーディングだな。

●クリフトンパーク、ニューヨーク州、アメリカ:男性
フィドルを持って空港に行った時にパイロットが自分の横に座ってきて、何を弾くのかと聞いてきた事がある。
オールドタイム(アメリカのマウンテン・ミュージックの一種)だと答えたら彼もオールドタイムを演奏していて、良いセッションが聞ける日本への旅行が好きだと言ってた。

●ニューオーリンズ、ルイジアナ州、アメリカ:男性
面白いな。
自分はニューオーリンズに住んでてジャズが好きだ。
大抵ルイジアナ州以外でジャズを聴いても印象に残らないことが多い。
重要な例外はタイで、数年前に行った時に聞いたタイのバンドの良さは衝撃的だったな。
多分日本のブルーグラスのトレンドも似たような感じなんだろう。

●男性
自分が好きな日本のバンドはマキシマム・ザ・ホルモン。
(J-Popとミックスしたニュー・メタルをやることが多い)
ただ、最近マンドリンを習いだしてブルーグラスとアイリッシュ音楽に嵌りつつある。
Youtubeで日本のブルーグラスバンドをチェックしてみるか…

●スキピオセンター、ニューヨーク州、アメリカ:男性
新しい事じゃないな。
1976年から1979年までラジオで毎週ブルーグラスの番組を担当してたけど当時のブルーグラスは日本からのも多かった。

●ロングモント、コロラド州、アメリカ:男性
トミ藤山と彼女が日本のカントリーとブルーグラスに与えた影響について触れてないのが残念だ。
※日本人女性で初めてアメリカのカントリーミュージック公開ライブ番組『グランド・オール・オープリー』に出演した女性カントリー歌手:wikipedia

●男性
日本には素晴らしいブルーグラスの世界があって、しかも単なるイミテーション以上に豊かで深い。

●サニーベール、カリフォルニア州、アメリカ:男性
日本のブルーグラスシーンは50年位前から始まってて、ブルーグラス45というバンドが凄く人気だった。
我々がそのバンドをレベル・レコーズでレコーディングして、アメリカと日本で結構な売り上げがあった。
このバンドはThe New South、スタンレー・ブラザーズ、スペクトラムなんかに似てたな。
日本中をコンサートしてまわったけどアメリカ以上にオーディエンスがいたよ。


●ミシガン州、アメリカ:女性
1985~1986年に広島に住んでて、そこにあったクレメンタインという小さなレストランによく通ってた。
メキシコ料理を出すお店で、音楽はブルーグラスがかかっていたね。
そこで良いブルーグラスを聞いたし、かつてない程最高な演出のテネシーワルツも聞けたよ。

●女性
面白いね。
私はブルーグラスに嵌ってないけど12年間日本に住んでて全然知らなかった。

●オレンジシティ、フロリダ州、アメリカ:女性
彼等は素晴らしいよ。
Blue Ridge Mountain Home(これは日本ではないけど)からタツヤズ・ブレイクタウンまでみんな素晴らしいミュージシャンだからYoutubeでチェックしてみて。

●スプリングフィールド、ミズーリ州、アメリカ:男性
ウン十年前にホノルルでカントリー/ウェスタンミュージックを演奏する日本のバンドを見た事がある。
素晴らしかった!

●ロサンジェルス、カリフォルニア州、アメリカ:男性
日本発のサルサミュージックも聞いたらノックダウンされるぞ。

●女性
ヘイ、日本!
サラ・ジェーン・スクートンも良いよ!

●エンシャット、ワシントン州、アメリカ:男性
日本は世界最高のスコッチウィスキーも作ってるんだよな。






実際日本でカントリー/ブルーグラスは根強い人気があります。
(なにせ毎年日本各地でカントリーのイベントが開催されている程で)
この前も東京を訪れた時に池袋芸術劇場前でカントリーフェスをやっていました。



Very Best of Bluegrass
Very Best of Bluegrass