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日本アニメ関係のイベント、アニメ・コンベンションは今や世界中で開催されています。
しかし何事にも始まりはあるもので、アメリカで最初期に行われたアニメ・コンベンションである『ヤマトコン1』のフライヤーが海外の掲示板で紹介されていました。

引用元:reddit.com

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●投稿主
アメリカ最初期のアニメ・コンベンション『ヤマトコン1』のフライヤーだ。

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何年?

●投稿主
↑このコンベンションは1983年にテキサス州ダラスのホテルで開催された。

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1983年の2ドルはインフレレートで計算したら現在の5ドルに相当する。
コンベンションのチケットにしてはやたらとお買い得だな。

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凄い初期だな。
AKIRA前史か。
当時のファンは『マッハGoGoGo』以外にどんなアニメを見てたんだろうか?

●投稿主
↑みんな『宇宙戦艦ヤマト』、アメリカでのタイトルは『スターブレイザー』のファンだったんだ。
このアニメは『鉄腕アトム』や『マッハGoGoGo』の後に翻訳版が人気になった最初のアニメの1つだ。
日本でオリジナル版が放送されたのが1974~1975年でアメリカ版が放送されたのが1979~1984年。

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当時のテキサス州ダラスに住んでたけど80年代のテキサスはUHFのチャンネルが5~6あって(13以上のチャンネルが若者向け)、チャンネル27では海外の作品(アニメや古いSF作品など)を放送してたからアニメ/SFファンにとって素晴らしい場所だったな。
祖父が27インチのテレビを持っていて、いくらでも見る事が出来た。
ちょうど『ボルトロン』(※wikipedia)や『ロボテック』(※wikipedia)が放送された1年後だった。
当時は6歳でクリスマスに『ロボテック』の戦闘シーンを見てたのを覚えてるよ。

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当時は『バトル・オブ・プラネッツ1978』(『科学忍者隊ガッチャマン』の英題)や『宇宙伝説ユリシーズ31』(フランスの企業が日本のアニメスタジオに資金を提供して作った共同作)、『鉄人28号』を見てたな。
ちなみに漫画版の『AKIRA』が日本で連載を開始したのが1982年。
『AKIRA』がアメリカにやってくるのは80年代後半だ。

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1970年代のアニメクラブは日本から買ってきた16mmのオープンリールフィルムを回してた。

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この映画というのは字幕版なんだろうか?
それとも日本の映像ソースをそのまま流してたんだろうか?
昔の人は台詞を翻訳したものを書いた紙を手に見ていたと聞いたことがあるから。

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↑このイベントで流してたのがどうかは知らないけど、1986年に行ったイベントではレーザーディスクからフィルムにコピーして、それに字幕をつけたもの(ファンメイドで間違いだらけ)を流してたな。
別の作品は日本のメディアを字幕なしで流してた。
キャラクター名とそれぞれの簡単な説明、ストーリーのあらすじを書いた紙を貰えるんだ。

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当時アニメクラブではバイリンガルの子が同時通訳しているのを聞きながら見ていた。
彼が適当言っていたかどうかはわからない。

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↑今でも日本語を知らない友達のために日本語版のみのゲームを自分がプレイしながら同時通訳する事があるよ。

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↑日本語がまだ流暢じゃない時の日本語の実践方法としてかなり良いかもしれないな。

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>当時アニメクラブではバイリンガルの子が同時通訳しているのを聞きながら見ていた。
一般的だったかどうかは知らないけど、そういう事はあったな。
ラテンアメリカやヨーロッパではライセンスされてて吹替が作られてたけど英語圏向けにはライセンスされてなかったアニメなんかだと入手しやすいのもあったね。
例えばフランス語吹替版のアニメが手に入ればフランス語ができる人間に同時通訳させたら日本語版の同時通訳と同じことになる。

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アニメが気軽に見られるようになった今に感謝しないとな。
当時アニメが見られる場所はアニメクラブかコンベンションしかなかったと聞いた事がある。
トゥナミ(※アメリカのカートゥーンネットワークのアニメ放送枠)がブームだった時に子供時代を過ごした人間にとって当時の人達がどうやってアニメを見て、メディアを入手したかという話は凄く驚きだ。

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テキサスと聞いてアニメを想像する人はそうはいないけど、オタク率は結構高い。
アラモシティ・コミックコンとサン・ジャパンはサンアントニオで開催される2大イベントだし、オースティンほどオタクシーンが栄えている街は知らない。
実際のところテキサスは暑すぎるんでみんなインドア趣味に走るんじゃないかと思ってる。

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FUNimation(※アメリカのアニメ配信業者)はテキサスがベースだ。
なんか知らないけどこの件は面白いと思ってた。

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センタイ・フィルムワークス(※アメリカでアニメのメディアを販売してる企業)もテキサスだ。

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テキサスはアメリカにおけるアニメの首都だな。

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当時の映像が残っていたら見てみたいな。

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↑カムコーダー(※ビデオカメラ)は同じ年に発売された。
1983年のオタクが当時5000ドルしたカメラを手にイベントに行ったとは考えにくいな。

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『ヤマトコン1』と『ヤマトコン2』については詳しい情報を載せてるサイトがある。
この日がテキサスのアニメファンにとって極めて重要な日だったことが証明された。
おおよそ100名の参加者と8人のディーラーがイベントを成功に導いたのだ。
ドンは当時をこう振り返っている。
私達はその日早くにホテルを訪れて会場設営をし、それから朝食を取ったんだ。
その後で会場に戻ると3人の若者が入り口の階段に座っていて、そのうちの1人はフライヤーを持っていた。
マークがその3人にヤマトコンに来たのかと聞いたらそうだと答えた。
私達は会場の中に入り、その3人に聞こえない場所に行ってささやかなお祝いをしたよ。
3人来たぞ!と。
その時は会場が人で埋まるなんて考えもしてなかった。

リー・ヘルナンデス(※アメコミ作家)が最近何をやってるか全然知らないことを思い出した。
最近はそういう事にとんと疎くて。
※『ヤマトコン1』のパンフレットの表紙をリー・ヘルナンデスが書いている。
そしてこれが1986年に開催された『ヤマトコン2』の上映室のスケジュール。

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↑『風の谷のナウシカ』の英語編集版である『Warriors of the Wind』が”本当に嬉しいもの(a real treat)”と説明されてるのが良いな。
当時、アニメが翻訳されることは本当に珍しかったんだとよくわかる。

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ダイコン・オープニングに続いてヤマト、ダロス、マクロス、ナウシカ、ダンクーガ、幻夢戦記レダ、ガンダム。
80年代後半のアニメでこれ以上のリストを作れるだろうか?
良いね。

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当時からアニメファンだった人入るかな?
昔のオタクについて聞いてみたい。

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偉大なるテキサスがアニメ列車に最初に飛び乗った州であることに驚きはない。
誇らしいね。

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↑2番目だな。
最初は日本だ。

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これは先達を祭る神社が必要なんじゃないかって気がしてきた。

●投稿主
↑同意する。

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『宇宙戦艦ヤマト』が大好きで過去作は劇場版やリメイクも含めて全部見てる。
ストーリーがヤマトによく似ている『宇宙空母ブルーノア』もいいぞ。
唯一好きじゃない劇場版は波動砲がリボルバーになってる奴。

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『宇宙戦艦ヤマト復活篇』の事だよな?
西崎義展はこの作品のプロットでかなりの制約があったみたいだし、最初に着想したのが1995年だから作るのに10年くらいかかったことになる。

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確かオタコンにヤマトのサントラやLDを売ってる業者がいたな。
今年は買ってみようかな。

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↑LDは見れなくなってるものも多いから気を付けたほうがいいぞ。
自分のLDはチェックしてないけど多分半分位見れなくなってると思う。
当時は”VHSと違って何百年ももつ”なんて言われてたけど、ディスクの腐食がそれを間違いだと証明した。

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面白いな。
自分は二十代なんだけど初めて見たアニメが『スターブレイザー』(※宇宙戦艦ヤマトの英題)だった。
兄弟そろってこのシリーズが大好きだった。
五十代になる父親が子供の頃学校が終わるとこのアニメを見ていて、父親の友達がヤマトのVHSを1巻から3巻まで持ってたから嵌ったんだ。
今でもそのテープを持ってるよ。
外装が壊れて見られなくなってるのもあるけど、とにかくこのアニメにはびっくりしたし、子供時代に見た事に感謝してる。
アニメにはそれからしばらくして友達が『コードギアス』を勧めてくるまで離れてたんだけど、ヤマトはいつも心の温かい場所にある。

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当時のオタクでアニメがアメリカでここまで人気が出ると思ってた人はいるのかな。

●投稿主
↑アニメファンにとっては凄い変化だよな。
でも時代は変わっても当時でもテクノロジーは日々変化していただろうし、アニメファンの中には自分達は興味がない人には決して感じる事が出来ない何か特別なものに関わってると感じてた人はいると思う。

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ヤマトが始まりなのか?
素晴らしいスタートだな。






今から36年前、全世界でアニメが同時配信されるようになった現在から見ると凄い変化です。
1983年は日本だと『装甲騎兵ボトムズ』、『キャッツアイ』、『キン肉マン』、『キャプテン翼』等が放送開始した年です。
参考:wikipedia
民生用のカムコーダーが初登場したのは1983年のソニーのベータムービーからなので、こちらの技術進歩も目覚ましいものがあります。
参考:wikipedia