Tomomarusan, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
十年一昔という言葉もあるように十年、二十年で日々の生活は大きく変わっていきます。
昔の日本では当たり前にあったけど今なら驚かれるであろうものごとについて海外の掲示板で語り合っていました。
引用元:reddit.com
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●投稿主
日本に来た当初はあったけど今となっては驚かれるであろう日本のものごとについて。
日本に来たのは20数年前だったけど、当時は固定電話の加入権を得るためにはNTTに返金負荷の補償金を7万円払う必要があった。
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どこに行くにも手描きの地図を持参していた。
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↑京都の大学に通っていた時に奈良公園に行こうとなった。
それで帰る時に駅に行くために友達が地図を取り出したら鹿に食われた。
こうして完全に道に迷うことになった。
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昔は地下鉄の路線図を買ったものだよ。
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↑Gary Basinが書いた『Tokyo Transit Book』かな?
当時は何ものにも代えがたいものだった。
何種類か持ってたよ。
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昔はとにかく山手線に乗れ、方向が違ってもいずれ目的地に着くからと言われてたな。
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交番が命綱だったな。
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ATMは銀行にしかなくてしかも銀行の営業時間中しか使えなかった。
そして当時はクレジットカードを使えない所が多かったからこれが超重要だった。
正月になると日本全国の店が閉まってしまうから1週間分の食料を買い込んでおかないと大変なことになってしまう。
ボーダフォン(※現ソフトバンク)の携帯には英語の設定がなかった。
IPフォンがなかったから法外な通話料を払って国際電話をかけるしかなかった。
Amazonみたいに海外の日用品を簡単に買えるようなサービスがなかった。
海外の物で何か欲しくなったら専門店に行くしかなく、置いてあるかどうかは運頼み。
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↑ゴールデンウィークや正月前にパーティーをして現金を使い果たし、翌朝にこれから4日間現金を引き出せないことに気付いた、ということがある。
クレジットカードは使えるところの方が少なかったし。
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↑日本で過ごした初めての新年は来日して1か月以内だったからこんなことになるとは予想もしてなかった。
5000円とラーメンとトマトジュースで1週間生き延びたよ。
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ダイアルアップでネットに繋いでた。
youtubeもSNSもなし。
ともあれメールで家族と繋がりを持つことはできた。
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↑最初の数年は国際電話カードでネットに繋げてたな。
今もあるのかな?
スカイプ(当時は音声のみ)は革命的だったけど今の若者にはその衝撃を理解できないかもしれない。
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↑昔あったgol(※プロバイダ)はどうなったんだろうか。
インターネット黎明期の日本で英語のサポートがあったから当時の外国人にとって大きな役割を果たしてた。
雑誌でも大々的に宣伝されてたな。
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↑gol.comは楽天傘下で今もあるぞ。
今でもそこのメアドをメインに使ってる。
このドメインで新しいメールアドレスは取れないと思う。
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海外の家族に電話をかけるのにも通話料が必要だった。
ビデオ通話はなし。
youtubeもなくてミクシィを使ってた。
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↑テレフォンカードを使ってたな。
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今となっては些細なことだけど当時はスマホのキーボードの言語を簡単に変えられなかった。
そして更に驚くべきことにスマホの前に日本にはスマホがあった。
ワンセグとかiモードと呼ばれてた。
アニメーションする絵文字もあった。
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ネットカフェに行って(無料!)母国の家族にメールを送ってLiveJournal(※ブログ)を更新してたな。
でもそれも日本に来て数年経ってからだった。
それまではテレカを買って家族に電話してた。
携帯でネットに繋げて調べられるようになる(1分200円くらい)前に使っていたボロボロになった英和辞典を今でも持ってる。
今はグーグルマップや車のナビなしでどこかに行くなんて考えられない。
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日本を出国する時に成田空港で金を払う必要があった。
(当時の羽田に国際線はなかった)
出国ビザだったのか空港サービス料だったのかは忘れた。
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↑確か空港使用料だったはず。
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↑今もあるぞ。
空港で払う代わりに飛行機のチケット代に含まれるようになっただけ。
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PHS。
似たようなのは他の国にもあったけど日本は先を行ってた。
かなり愛用してたよ。
国際電話は折り返し出かけてもらってた。
それ以外の通信手段は手紙のみで、1996年あたりになってようやくHotmailが登場した。
全て現金のみ。
福岡でイギリスのクレジットカードが使えるATMは1台しかなかった。
1995/1996年当時、ネットで読めるイギリスの新聞はThe Daily Telegraphしかなかったから無料で使えるKDDのネットカフェで読んでた。
当時は有料でネットに繋げられるところがあって(カフェではなかった)、30分でできるだけたくさんニュースをダウンロードしてフロッピーディスクに保存し、職場に戻ってからゆっくり読んでた。
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↑シンプルなようでもあるし複雑なようでもあるな。
読んでたら当時大人だった方が良かったんじゃないかと思えてくる。
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ネットに繋げるためには専用のケーブルが必要で設定も恐ろしく大変だった。
あとビザの更新は港でするんだけど16時半に閉まるうえにバスの路線が1本しかない辺鄙な場所だったから半日有休をとらなくちゃいけなかった。
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在留カードの取得にとんでもない時間がかかったから銀行口座を開設する前に給料日が来てしまった。
なので初めての給料はなくさないようにという注意と共に現金が入った封筒を渡された。
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英語のOSが入ったPCを使ってる場合は日本語を表示するためにアドオンを入れる必要があった。
日本語の文字エンコードと互換性がないから読めないという返信メールを何度もらったことか。
あと英語の本を買うために列車で90分かけて名古屋のマルゼンに行った。
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電子辞書の前は紙の辞書だった。
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仕事探しも土日はできなくて月曜を待つしかなかった。
新聞で祝日だと知った時はフラストレーション溜まりまくりだったな。
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グーグルで時刻表や路線図を調べられるようになるまでの数年間は本当に暗黒だった。
路線図と時刻表を持ち歩いて手動で計算しなくちゃいけなかったから。
大変だった。
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↑乗換案内が出る前はPDAに時刻表アプリを入れてた。
2000年当時はそれでも未来的だった。
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(今はまったくしてないから)どのくらい変わったのかはわからないけど日本に来た当時(20年前)の銀行の海外送金手続きはかなり……興味深いものだった。
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ICカードやグーグルマップなしでどうやって生きていけたのか想像もできない。
紙の地図なんて全く読めないんだけど。
バスや列車の乗り換えをどうやって把握するんだ?
毎日券売機に並んで切符を買ってたわけ?
スマホで漢字を検索もできないのに?
凄すぎる。
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↑やらざるを得ないからやってたぞ。
当然のこととしてやってた。
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ツタヤはVHSだらけだった。
少なくとも店舗の半分は。
2006年くらいの頃。
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当時はyoutubeがなかったから音楽はyahooミュージックで聞いてた。
メールを送るのも大変だった。
ソニーのVAIOにはセレロンやペンティアムMが搭載されていてRAMは256/512MBだった。
ツーカーフォンがあった。
ノートパソコンでネットにつなぐにはPCIカードが必要だった。
海外電話は電話ボックスに硬貨を入れてかけてた。
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2008年ごろ
1.田舎だったから携帯が圏外だった。(公共機関は高速インターネットが繋がってたけど)
2.電子辞書は専用のデバイスがあった
3.地方銀行は15時に営業終了(セブンイレブンのATMで地銀のキャッシュカードを使えるようになったのは2年後くらいだったと思う)
4.基本的に公共のフリーWi-Fiはなくてどこに行くにも手描きの地図を持参してた
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サラリーマンが列車の中で新聞を折り紙のように小さくたたんで読んでるのを見て畏怖した。
今じゃスマホ以外で何かを読んでいる人を見るのは稀だ。
やはりネットの普及が人々の生活を大きく変えたようです。
海外の人にとっては国際電話なども大きな事案だったようです。
追記:Amaozn→Amazonに修正。ご指摘感謝です。
追記:Amaozn→Amazonに修正。ご指摘感謝です。
90年代半ばに引っ越しの際に権利売り払って金にしたわ
いくらになったかは忘れた