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image credit:reddit.com

岩手県の普代村にある普代水門(※wikipedia)は1984年に35億6000万円もの巨費を投じて作られた巨大な水門です。
建設当時は15.5mの高さはやりすぎだなどの非難を浴びたものの、東日本大震災では見事にその役目を果たしました。
普代水門に対する海外の反応です。

引用元:reddit.com

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普代水門は1967年に今の価値に直すと3000万ドルもの巨費を投じて作られたが、金の無駄だと思われていた。
しかし2011年に起きた東日本大震災では津波を食い止めて村を救った。

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きちんと機能してみせた44年前の土木技術も凄い。

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これは非常に興味深いな。

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前に津波の堤防を紹介したドキュメンタリーを見たことがあるけど面白かったな。
タイトルは忘れてしまったけどNHKだった。

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震災の前後で気仙沼に行った時の写真を持ってる。
まだどこかに残ってるはず。

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津波という名前が生まれた国で無用だと思われることがあるのか?

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↑ここまで効果を発揮するとは思われてなかったんだ。
これを推進した村長はもう亡くなっているけど今では英雄として尊敬されている。

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こういうプロジェクトは資金をもっと他に回せるだろうと”悪者”扱いされがちだ。
普代村は非常に小さい村だから工費を村民で割ると約1万ドルになる。
アメリカだったら引っ越せと言われるレベルだろう。
しかし日本は違う。
25万人が津波の危険地帯に住んでいて、2011年のような大津波が起きれば1人当たりの被害額は数十万ドルにもなる。

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この村の住民は金の無駄だと思わないだろう。

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昔はどこもそうだったんだよな。
今じゃみんな将来を見越したものよりも今この瞬間に役立つものを求めたがる。

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長期投資が報われたということか。

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この建設を推進した村長はゴッホと同じ扱いを受けた。
当時は金を無駄にしたと散々非難されたけどその真の価値が認められたのは村長が亡くなってからずっと後の事だった。

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補足するならこの計画を推進した和村村長は村が津波に襲われたのを2度生き延びている。
1回目は1830年代でもう1回は1940年代(だったはず)
※和村幸得村長(※wikipedia)は1933年の昭和三陸地震を体験している

だからまたあり得ることを知ってたんだ。
この村にとって幸運だったのは当時のことを覚えていて先見性があり、政治力もある(何十年も村長を務めて資金を獲得できるだけのコネを持っていた)人が適切なタイミングと場所で極めて批判を受けやすい公共事業を押し通せたことだ。

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興味ある人のために説明しよう。
まず1967年に近くにある漁港の住宅を守るために同じ高さの堤防が建設された(※太田名部防潮堤:wikipedia)。
当時村長だった和村幸得氏は村民の大半が住む普代村を津波から守るために水門を増設したいと考え、1972年に着工、1984年に完成した。

よく聞く話の様に本当に村長が笑いものになったかどうかはわからない。
彼は1947年から1987年まで10期も村長を務め、水門完成から4年後に引退した。
水門建設については批判を受けたけど約3000人の村民は彼を信頼していたからこそ長きにわたって村長に留任させていたんだろう。

むしろ知りたいのは彼がどうやって国を説得して3000万ドル以上するプロジェクトの資金を確保したのかということだな。
多くの人々の命を救った形になったとはいえ、政府がこの計画を承諾したというのが驚きだ。

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↑当時は好景気で政府関係者も壮大な計画を好んでいたんだろうな。
良い時期に資金を集められたと言える。

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本当に重要なインフラはそれが人々の命を救うまで非難にさらされるという一例だな。

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↑だから公共事業の批判があることにうんざりする。
実際に影響を受けるまで軽んじる人が多すぎる。

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↑冬季の対策不足のせいでテキサスの電力網が吹雪で停電した時もそうだったな。
みんな”そんなことが起こるなんて知らなかった”と言ってた。

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↑しかも最近3回目が起きた。

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↑5~6年おきで3回目だからな。
なんで100年に1度、1000年に1度の災害が数年おきに起きてるんだ。

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このレポートが真実なら投じた資金はびた一文残らず役に立ったということだな。

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↑村長は記録を調べて津波の危険があるから堤防が必要だと判断したんだ。
それで堤防を建設したんだけど2011年までみんな正気の沙汰じゃないと思っていた。

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ストリートビューで見たら水がどこまで来たのか水位線やなぎ倒された木々でよくわかるな。
堤防がなかったら村は津波に飲まれていたな。

※2011年11月のストリートビュー



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↑実際のところ津波はこの水門を乗り越えている。
水門の高さは55フィート(※15.5m)で津波の高さは66フィート(※約20m)だった。
しかし水門が津波の力をほとんど防いだおかげで村は無事だった。
犠牲者が1名出たけどそれは地震の直後に自分の船を確認するために水門の外に出たため。
前にこの記事が紹介された時に読んだ記憶があるけど、この高さにしたのはかつてこの地域を襲った一番大きな津波がその高さだったからとか。
だから最低でもその高さにしたかったんだろう。

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こういう公共事業は金がかかるけど、実際に金が消えたわけではないよな。
建設費、機械やコンクリを作るための人件費など、地域社会への投資になるし安全のためでもある。
地元企業を使うなら地元への投資にもなるし。

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どうやってこれだけの資金を集めたんだろう。

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↑戦後の経済復興戦略として国と県が共同出資で公共事業に資金を提供した。

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村長は県を説得して村と費用を分担させたようだ。
それから水門自体に反対する人はいなかったらしい。
ただ規模が大きすぎると感じていただけで。
みんな津波の危険性と水門の利点を理解していたのだろう。

津波の高さは66フィートで水門の高さは51フィートだから波は超えて行ったけど勢いは弱められたから村を救えたんだろうな。
もっと小さな水門でも津波の勢いを弱める効果はあったかもしれないけど、それにも限界があるのは間違いないだろうな。

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↑村長は山の中腹にある岩の高さまで水門を建てた。
村長が子供の頃、村の長老が子供の頃に襲ってきた津波がここまで来たと教えてくれたらしい。

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↑年長者への尊敬が報われた瞬間だな。
年長者はその年の歴史を知っていてその地域で起きた酷い出来事も覚えている。

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この水門なら怪獣も防ぎ止めてくれるだろう。

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こういう公共インフラは何も起こらない間は称賛されることはほぼないけど、最悪なことが起きた時に評価が上がる。

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老人がその木陰を自分が享受することはないと知りながら木を植えることで社会は成長していく。
(※古代ギリシャの格言)
この村長は実に大胆なことをやってのけた。
数十年早かったけど本当に多くの人々を救った。

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シートベルトだって事故に遭うまではお金の無駄だしな。

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↑???「シートベルトがあるのになんでエアバッグが必要なんだ?」

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まさにこれが問題なんだよな。
予防は栄光に預かることがない。
世界中の災害を見てもリスクを認識していたにも関わらず(費用の掛かる)対策よりも起こらないだろうという希望が上回った結果悲劇が起きたという例が驚くほど多い。
これは功を奏した例だ。

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↑ジョンズタウン洪水(※wikipedia)はリスクを軽視/無視した結果大災害が起きた例だな。

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この水門を推進した村長は2011年の前に亡くなっている。
災害の後で多くの村民が彼のお墓にお参りしたらしい。

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↑そういうことって本当にあるんだな。

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↑日本は今でも名誉を重んじる国だからな。
それに死後に人々を救うというのは名誉の尺度で言えば計り知れないものがある。





普代水門は日本だけでなく海外のメディアでも数多く取り上げられました。
普代水門の前には和村幸得村長の功績を讃えて顕彰碑も建てられています。